暗闇について思う・・・その2

おはようございます、丸屋家具店主の丸山です。

 

雨の勤労感謝の日となりました。

勤労感謝の日・・・戦前は新嘗祭・簡単にいえば五穀の収穫祭ですね。

収穫を祝う祭であれば・・・今夜は飲み会かな!

 

ところで、

丸屋家具では今日から3日間健康寝具フェアを開催中です。

是非お立ち寄り下さい。

 

さて、昨日の続きです。

先ずは、

「明るい」ってどうして「日」と「月」だと思いますか?

 

昼間を照らす「日」と夜を照らす「月」・・・共に明るい状態をつくる元だからでしょうか?

それとも、明るいものを2つ重ねるともっと明るくなるからでしょうか?

 

でも、昼間、お月様が出ていたって誰も気が付かないですよね。

太陽とお月様が一緒に出ていたって、普段より明るくなんてならないですよね。

 

人はどんな時に「明るい」と思うのでしょうか?

昼間、「今日の昼の明るさは、いつもよりの昼より明るくて嬉しい」と思うでしょうか?

昼間、「明るくて、回りがよく見えて有り難い」と思うでしょうか?

 

明かりが嬉しいのは夜です。

明るいという状態を意識するのは夜です。

 

漢字研究の第一人者、白川静(しらかわ・しずか)氏は言います、

「明」の字の「日」は窓を意味する。

夜、家の中に窓から差し込む月光こそが「明るい」状態である。

 

また、

「明」自体が窓も意味する。

窓の意味するものは、明かり採りとか、空気の入れ換えとか、見晴らしとかではなく、祭祀を行う場所である。

 

え~っ!

なのであります。

 

漢字の一部に「日」と書かれていても、必ずしも太陽を意味しないのです。

では、

「日」と「曰」の違いは分かりますか?

 

この話明日に続く。